近代国家における三権分立と憲法について

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イェリネクは、その著『少数者の権利』において、多数意思よりも優位におかれる領域について言及している。14)それは、多数決決定から除外されるものとして、不可侵333な属性を帯びるとしている。神聖ローマ帝国における宗教政党の場合、少数政党であっても、それが「宗教的事項」と一旦宣言すれば、多数決決定に付されなかった。また彼の同時代のオーストリア・ハンガリー帝国においては、それが「民族的事項」となっていると述べる。これも多数決決定から除外された。いずれも不可侵333な領域とされ、多数意思よりも優位におかれる事項となる。イェリネクは、この観点の延長線上に、米国建国時において、ロジャー・ウィリアムがロードアイランドの植民市において採用した統治原則―個人の信仰領域への政治権力(多数意思)の不可侵―を捉えている。15)背景に、徹底的に個人化したピューリタン信仰のエートスをみているのであるが、ここに、「個人的事項」に対する多数意思の介入を禁ずる原則―WallofSeparation―の採用を見出している。この「個人の信仰」領域への不可侵性が、「良心の自由」へと変換し、ついには「人権」という観念の歴史的現実化をそこに発見するのである。このようにして、個人33のテリトリーのもつ“不可侵性”が成立した、とイェリネクは捉える。16)合衆国建国にあたって、ロジャー・ウィリアムズのこの統治原則が採用されたのであるが、彼の“WallofSeparation”という表現が、のちの政教分離SeparationofChurchandStateと呼ばれるようになったことはつとに知られている。17)米国から始まった政教分離原則と人権を原理とするこの政治社会秩序は、この後、フランス革命につながり、世界的な広がりをもつことになる。これら2つの統治原理は、その端緒において、不即不離の関係にあったことも確認できる。多数意思よりも優位におかれる不可侵333の領域に着目し、これが集合的333な対象からついには、個人33に局限されるに至ったというイェリネクのこの視点は、これまで言及してきたデュルケム、ウェーバーの議論へと収斂していく側面をもつ。

宗教学(宗教社会学)の視点から東アジアの宗教文化をテーマとしてきましたが、現在は死生観をめぐる宗教比較に焦点をあてた研究を進めています。近年、臨死体験をめぐる学際的な研究が進展しており、宗教学の立場からこのテーマを追求しています。

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